公社の歴史

1947年から1964年(昭和22年から昭和39年)

財団法人名古屋市住宅公社

(写真)千央閣A・B 平成16年度 千種台地区立替事業により、役目を終えて取壊されました。戦災による家屋の焼失、戦地からの引揚に伴う人口増などにより、深刻な住宅難にあえぐ昭和23年、名古屋市住宅供給公社のルーツである財団法人名古屋市住宅建設社が設立されました。昭和27年、財団法人名古屋市住宅公社に組織変更し、多くの住宅を供給するため全力を尽くしました。
分譲住宅は、木造一戸建て住宅が主流でした。また、賃貸住宅にも取組みました。

1965年から1969年(昭和40年から昭和44年)

名古屋市住宅供給公社の誕生

昭和40年6月地方住宅供給公社法が公布されました。同年11月財団法人名古屋市住宅公社を組織変更し、名古屋市の全額出資による名古屋市住宅供給公社が発足しました。積立分譲住宅、一般分譲住宅、賃貸住宅など勤労者向けの住宅を提供するという目的に向かって新しいスタートを切りました。
分譲住宅の第1号は、千種区の春里住宅でした。申込倍率は、最高60倍でした。

同住宅は、平成9年度に名古屋市住宅供給公社で建替を行い、シティコーポ春里として生まれ変わりました。

(写真)春里住宅、シティコーポ春里

1970年から1974年(昭和45年から昭和49年)

名古屋市住宅供給公社

経済成長と共に住宅の需要も活発になり、大規模な高層住宅の建設や宅地を造成し団地を開発するなど、事業規模は拡大し、大量供給の時代となりました。
しかし、昭和48年の第1次オイルショックの影響を受け住宅供給の転換期を迎えました。

(写真)中富住宅:全国最大規模の高層住宅で、中部建築賞受賞。 桃山住宅:宅地造成による団地開発。

1972年(昭和47年)

財団法人名古屋市住宅管理公社の誕生

(写真)梅森団地昭和45年、名古屋市住宅供給公社の中に管理部を設置し、市営住宅の経常的修繕を受託しました。増大する市営住宅修繕業務を円滑に遂行するため、昭和47年2月名古屋市の全額出捐による財団法人名古屋市住宅管理公社が設立され、これに伴ない、名古屋市住宅供給公社の管理部は廃止しました。入居者の利便を図るため、梅森団地に管理事務所が開設しました。また、公社職員による直営修繕業務を開始しました。

1975年から1984年(昭和50年から昭和59年)

名古屋市住宅供給公社

(写真)浄心再開発事業:大規模駐車場の設置など都市機能との一体化量から質への時代となり、住宅の間取りの多様化や新しい工法への取り組みを実施しました。また市街地再開発事業、等価交換事業など様々な業務展開を始めました。
昭和54年には、市民サービスの窓口として栄地下街「市民サービスコーナー」内に相談窓口を開設しました。

財団法人名古屋市住宅管理公社

(写真)栄サービスコーナー市内に「方面事務所」を開設し、市営住宅の居住者の皆様の利便性を図りました。
昭和54年には、市民サービスの窓口として栄地下街「市民サービスコーナー」内に相談窓口を開設しました。

1985年から1994年(昭和60年から平成6年)

名古屋市住宅供給公社

分譲住宅では、駐車場対策や都市景観との調和など、住宅と地域とを一体的にとらえる取り組みを積極的に採用しました。
賃貸住宅では、名古屋市の施策を受けた定住促進モデル住宅事業、民間から住宅を借上げ管理する特定優良賃貸住宅事業等の新しい事業展開を始めました。

(写真)シティ・ファミリー八事定住促進住宅、シティ・ライフ神村特定優良住宅

財団法人名古屋市住宅管理公社

(写真)電算機械室平成5年に、市営住宅の募集方法が年4回募集、郵送受付等変更がありました。市営住宅総合電算システムが稼動を開始し、業務の電算化を図りました。

1999年(平成11年)から

新しい「名古屋市住宅供給公社」の誕生

平成11年4月、名古屋市住宅供給公社と財団法人名古屋市住宅管理公社は統合し、新しい「名古屋市住宅供給公社」として再出発をしました。
分譲住宅では、コスト削減や民間のノウハウを活用した企業開発提案方式等の導入、安心安全の取り組みとして免震構造のマンション等良質な住宅の供給に努めています。
また、公有地を有効活用した定期借地権付分譲住宅や市街地再開発事業施行地区内における住宅供給等、名古屋市のまちづくり施策と連携した事業を行っています。
名古屋市から市営住宅及び定住促進住宅についての修繕業務、家賃の収納業務、入居者募集などの事務を受託しています。

(写真)シティコーポ春田駅前:国土交通省大臣賞受賞、シティコーポ自由ヶ丘:千種台建替事業